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大阪地方裁判所 昭和44年(わ)541号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕(罪となるべき事実)

被告人は、自動車運転の業務に従事しているものであるところ、昭和四二年一二月四日午後六時二〇分頃、普通乗用自動車を運転して大阪市城東区今福南五丁目三〇番地先付近道路を北から南に向かい時速約四〇キロメートルで進行していたが、進路前方の同所同番地先には横断歩道が設けられており、而も、当時進路右側には右横断歩道にまたがつて多数の対向車両が交通停滞のため連続停止していたのであるから、このような場合、自動車運転者としては、前方を注視して右横断歩道を早期に発見すると共に、右停止車両の間を通つて右横断歩道を渡ろうとする歩行者のあることを予見して予め減速除行した上、安全を確認めしながら右横断歩道を通過し、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、前方注視をなおざりにしたまま漫然進行を続けた過失により、右横断歩道を看過して前記速度のまま同横断歩道に接近し、折柄同横断歩道上の停止車両の間を通つて右から左に歩行横断中の宮下周市(当五五才)を前方約八メートルの地点にはじめて発見し、あわてて急制動の措置をとつたが及ばず、自車右前部を同人に接触させて同人を路上に転倒させ、よつて同人に加療約一年を要しその後休業約三カ月を要する左肩関節脱臼骨折等の傷害を負わせたものである。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人は、本件犯行当時一九才を一〇日間余り超えた少年であつたが、警察は、本件の捜査を故意に遅延させ、被告人が成人に達するのを待つて昭和四四年一月二八日本件を検察官に送致し、送致を受けた検察官は、同年二月二七日本件を成人事件として起訴し、その結果、被告人をして家庭裁判所の審判を受ける機会を失わせたであつて、かかる違反な捜査手続に基づく本件公訴の提起は、違法であつて公訴権の濫用ともいえるから、無効として棄却されるべきである旨主張する。そこで、先ず、公訴提起前の捜査手続の違法が公訴提起の効力に影響を及ぼすかどうかの点につき考えてるに、刑事訴訟法第三三八条第四号によれば、公訴の提起は、その手続自体に重大な違法がある場合にのみ無効であるとされているところ、公訴提起前の捜査手続が公訴提起の手続に含まれると解することは如何なる観点からしても困難であるから、公訴提起前の捜査手続の違法は、刑事訴訟法第三三八条第四号の掲げる公訴提起の無効原因には該当しないものといわなければならない。この点につき、公訴提起の捜査手続が違法であつて、憲法第三一条の適正手続の保障に明らかに違背する揚合には、その違法は刑事訴訟法第三三八条第四号の無効原因となるとか、或いは、違法な捜査手続を前提としてはじめて公訴提起の手続が可能であつたという意味で両者が密接不可分の関係を有する場合(例えば本件のような場合)には、公訴提起前の捜査手続の違法は、公訴提起そのものにも違法性を帯有させ公訴の提起を違法としなければならない実質上の理由が存するものとして公訴提起の効力に影響を及ぼすとの見解があるが、このような見解は、実質論としては理解できないではないが、刑事訴訟法の解釈論としてはにわかに左袒し難く、只、公訴提起前の捜査手続に所論のような違法が存する場合には、場合によつては検察官は公訴を提起すべきではなく、検察官の提起した公訴は、訴追裁量権ないし公訴権の濫用として無効となり得るとの点に解釈論的論拠を求める余地があるにすぎない。然しながら、訴追裁量権ないし公訴権の濫用といつても、それは裁量の逸脱の問題であるから、逸脱があつたからといつて直ちに公訴の提起が無効となるものではなく、公訴の提起が無効となるためには、裁量権の著しい逸脱がなければならないことは勿論であるが、裁量権の著しい逸脱が存したとしても、それのみで公訴の提起が無効となると結論づけるにはなお論理の飛躍があり、公訴の提起を無効ならしめるには、更に検察官の主観的な目的意思が問題となされなければならない。違法の意思は法律効果の基礎となるにふさわしくないとの訴訟行為理論からすれば、検察官の主観的な目的意思が存してはじめて公訴の提起は無効となるものと解することが可能である。そして、本件のような事案の場合には、警察官が何らかの意図、例えば、事件が家庭裁判所に送致されたならば保護処分によつて終結されるかも知れないような事案につき、これを回避する意図の下に故意に捜査を遅延させ、被疑者が成人に達するのを待つてはじめて事件を検察官に送致し、検察官も亦その情を知りながら不法な目的意思をもつて公訴を提起したと窺われるような場合がこれに該当するものといわなければならない。

そこで、本件が右のような事案であるかどうかにつき検討するに、本件各証拠を綜合すれば、本件捜査の経緯等について次のような事実が認められる。即ち、(一)、本件は、大阪府城東警察署管内で発生した事件であり、発生の翌日同警察署巡査部長瀬戸田一史によつて事故現場の実況見分がなされ、その後、本件は、同警察署巡査田中幸夫の担当事件となつたが、被害者宮下周市は、加療約九カ月を要する重傷を負つて入院中であつたので、同巡査は、同人の治癒を待つて同人を取調べることとし、慣例に従つて被告人の取調べは被害者取調べ後に行う方針の下に本件捜査を中断した。(二)、然るところ、右田中巡査の所属する城東警察署管内は、当時交通事故多発区域であり、その発生率は、大阪府下の各警察署管内中二、三番目に高く、昭和四三年度中の発生事故数を見ても、人身事故が、二、二六四件、物損事故が一、一三六件に上る有様であつたのに対し、これを処理する交通係警察官は、同年四月迄は約六名、その後は約八名に増員された過ぎず、その捜査方法も、自己の受理した事件は最後迄自己の責任において捜査する仕組みになつていたため、担当警察官は、迅速処理を要する実況見分調書の作成に追われ、而も、慣例上簡易送致事件を先に処理するためその他の一般事件については処理が停滞し勝ちであつた。そして、前記田中巡査もその例に洩れず、一日平均二件位の自己の新受事件の実況見分や実況見分調書の作成更には簡易事件の処理等に忙殺され、本件事故発生当時はその手持件数も約七〇件に達し、本件は、少年事件として優先処理をするため事件記録に付箋を付していたものの、被害者の負傷の治癒を待つため捜査を中断していたところから、目先の仕事に追われているうちに、被告人が成人に達する迄本件を放置する結果となり、その問被害者の負傷の治癒状況について照会することもなく、被告人が成人に達した後約二週間を経過した昭和四三年一二月五日頃に至つて漸く外勤係から応援にきていた井上巡査に被害者の取調べを依頼し、同巡査によつて同月七日被害者の取調べがなされ、続いて被告人の取調べを終えて昭和四四年一月二八日本件を検察官に送致し、検察官は、同年二月二七日本件を成人事件として起訴した。(三)、然しながら、右田中巡査が本件処理当時担当していた少年事件は五、六件にすぎず、本件以外の少年事件はすべて成人に達する以前に捜査が終つているのであり、而も、本件は、他の手持の少年事件よりも先に処理されたのであるから、当時前記のような多忙な状況にあつたとはいえ、さほど複雑な事件とも思われない本件一件を他の事件に優先して処理できなかつたわけではなく、又、被害者の傷害は、当初加療約九カ月を要する見込みであつたのが治癒が遅れ、昭和四四年二月三日迄入院していたが、事件発生の翌日から意識を回復しており、当初の加療所要見込日数の経過を待たなくても、担当医師の了解を得て被害者を取調べることは可能であつたものと推認される。

以上認定の事実関係の外証人田中幸夫の当公判廷における供述によれば、前記田中巡査は、本件処理当時続発する交通事件の処理に忙殺されていたとはいえ、本件を優先的に処理しようと思えば、被告人が成人に達する迄に家庭裁判所の審判を受けられるよう被害者の取調べを終え、事件を検察官に送致することが必ずしも不可能であつたとは思われないのに、被害者の負傷の治癒を待つて被害者を取調べればよいとの安易な考えと、先の仕事が忙がしいから仕方がないとの気休め的考えから本件の捜査を放置したものと認められ、同人の捜査手続は不法不当のそしりを免れないが、同人が本件につき家庭裁判所の保護処分優先主義を潜脱する違法の意図をもつて故意に捜査を遅延させたとは到底考えられず、検察官も亦違法の意思をもつて本件を起訴したとは認められず、被告人の年令、犯情等からして本件が家庭裁判所の保護処分によつて終結されるような事案でないことからも警察官及び検察官の違法な目的意思は窺われない。してみると、検察官のなした本件訴訟の提起は、公訴権の濫用として無効となる場合に該当しないものといわなければならないから、弁護人の右主張は採用できない。(角敬)

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